およそ20余年前、桜上水の歯科医での会話である
医師:「ガクカンセツショウですね」
私 :「ガクカンセツ、ショウ?ですか?」
医師:「そうです」
私 :「どんな字をかくのでしよう?」
医師:「あごの顎、その関節症、ということです」
私 :「症?ということは、ひよっとすると、何か病気ということでしようか?」
医師:「そうです」
私 :「はあ・・・」
学生時代から、少なくとも30代半ばくらいまでは、歯科医の知り合いから「Yさんの歯は、歯科医泣かせですよ。しっかりしてきれいで歯茎の問題も無いし」と言われるくらいの歯の持ち主だった。建物に例えればすっきりしたデザインの瀟洒で堅牢な建築物のようだったと思う。
20余年後、建物はまるで繁華街の雑居ビルのような猥雑なイメージの建物に成り果ててしまった。「座して死を待つ」と言った性格ではないので、勿論、人の紹介やネットの情報で歯科医を訪ね診て戴くこと20軒以上。その都度最初に言われることはほぼ同じ。
「できるだけ持って生まれた歯を抜かないようにします。かみ合わせが非常に大事なので丁寧に処置させて戴きます」。毎回、毎回ここなら今度こそ口の中の崩壊を止めてくれるだろうと、そう悲痛な願いを込めて通院した。大げさ でなく実に「悲痛」だったのだ。
初期の頃は、まだ食事の時に歯が欠けてきて「おおっ、笑っちやうね、ブロッコリーを食べたら歯が欠けたぞ!」と自分で茶化している余裕があった。しかしながら、あちらこちらの歯科医を転々としているうちに事態は悪化の一途を辿る。
慢性的な偏頭痛と肩こり、腰痛が常態となったころには、とうとう電話の仕事 にもかかわらず顎の筋肉の動きを制御できなくなってやたらと噛んだり、ひど いときには語彙を失って「あれっ?アルツハイマー?!」と疑心暗鬼になる始末。鏡を見ても常に腫れぼったい輪郭と辛そうな表情。口を開くといつの間に か歯茎がエイリアンの怪物のように前面に隆起してきていつか歯根が歯茎をつき破って飛び出してくるのではなかろうかとまるでホラー映画のワンシーンのような想像もリアルに浮かんだ。
仕事が忙しく不規則で、自由に時間を予約して診療してもらうことがなかなか できないため、畢竟近郊の歯科医を頼っていた。会社の移転に伴って、用賀、桜 上水、南平台、横浜と歯科医を変え、希望と絶望を繰り返し、多少足を延ばして鎌倉あたりへも行ったが絶望を加えたのみ。この鎌倉とその前の関内が、体験上最も絶望が深かった。
関内では「顎関節症は治りません」と宣告された上、保険外の素材というクラウンを、何度も割れたり欠けたりする度に被せる作業を繰り返され、挙句、百万単 位の出費をした。鎌倉では、どんどんと歯を削られ、しかも手足をバタつかせる ほど痛いのに「我慢しなさい」とか「気のせい」とか言われてほぼ虐待に近い治療を受け、一層無残な歯にされた。
人気のテレビ番組で『顎関節症』を取り上げたとき、有名歯科大学の先生が講師で、その大学のチームの 一員だったということで、私の会社の社員がネットで調べて紹介してくれたのが その鎌倉だった。
その有名歯科大学の門を叩いた時は「もう、こうなったら距離をいっている場 合ではない。歯科医療の総本山にいくしかない」との覚悟と、最後の希望を持って「ここでダメならもうこの歯と心中するしかないのだろう」と意を決していた。
東京のその大学は日本中から患者が集まっているらしく、いかにも権威のある医療機関だと思わせた。 インターンらしい二人の学生が歯の一本一本をチェッ クしてくれた時には「さすが細かいところから状態を診てくれるのだな」と感心し、大いにその後の治療に期待を持った。しかしながらである。その後担当と なった年配の歯科医は私の現況と希望を聞いた時点で「ほら、こんなにスケジュールが詰まっているのですね」と黒い手帳を開いてみせた。そして、短期に治療が出来ないということと、希望通りにあれもこれも直せと言われても無理だと、わざわざ自分の両手を上にあげるポーズをとった。
大きかった期待は一気 に奈落の底へ吸い込まれていった。案の定、どこの歯科医でも抜くことだけはしていなかった奥歯を一本抜かれた。サッと抜ける予定だったものが1時間以上もかかり、「今日はたまたま僕の時間があるので抜いてあげられますが、次になれば1か月半後になりますよ」と半分脅されたような塩梅で処置にかかった。その歯科医の、ヤットコを握りしめた必死の形相だけが鮮明な記憶に残っている。
その歯は抜く必然があったとは今でも思っていない。ただ、大学内の各専門部署をたらい回しにされるうち、流れのようなもので抜かれてしまったと信じている。不思議なことに、まるでわが子を宇宙の果てに失うようなかつて味わったことのない喪失感をその1時間余りで体得していた。今、この文章を書いていてもかつての忌まわしい治療の数々が脳裏をよぎって心が誠につらい。
さて、山手デンタルクリニックは山手本通りに面していて私の生活道路の一つである。何百回、いや千回以上は通り過ぎているだろう。「高そうな歯科医院だ なあ、きっと法外な請求をするような歯科医に違いない。..」と、勝手に思っていた。人間絶望の底に立つと、何か吹っ切れるものがあるようで、今までの既成 観念で例の有名歯科大学が歯科治療の総本山との思い入れが間違っていたのであれば、一度、今まで全く選択肢にしていなかった世界を覗いてみたところでこれ以下の状況はどのみち無いだろうと、山手本通りに面した自由診療のみと謳っている土肥先生の医院に「ネットを拝見して」と駆け込んでみた。
四半世紀に渡った歯科医漂流と辛い難民生活はついに終わった。長年に渡る部分部分の弥縫策で「雑居ビル」になった建物は、従来の「瀟洒で堅牢な建築物」に甦ったのである。なぜ、最初からここへ来られなかったのか、唯 一今、 残念に思っている次第である。
合掌。
ここに、かつての私と同様、歯科医難民として未だ絶望の淵を漂流している方々のため、この機会に20余軒の他院と土肥先生の医院との違いを極めて簡単に表にしてみる。
(詳細に書くと違いが多岐に渡り多すぎて紙幅がいくらあっても 足りない)
他院 | 横浜山手デンタルクリニック | |
---|---|---|
最初の相談 | 3分前後 | 3~4時間。不定愁訴がどこからくるのか、根本原因が何なのか、歯に関わる不具合がどうすれば解決するのか、徹底的に話し合えた。 |
姿勢・表情の確認 | なし | 写真で体や表情の歪みを確認。噛み合わせの修正でそれらまで治ると宣言される。 それが、実現する。 |
歯磨きの教育 | ほとんどの医院で歯磨きの方法はOKをもらう | 横方向に細かく磨いていてかえって自分の歯を削っていたことに驚き、縦方向に 押し当てるように磨き、特に歯茎との境から汚れを除去することに専念する方法 を教えられ、どれだけ歯をいためずに効果的なブラッシングが出来るかを体感する。 |
治療時間 | 30分から長くて1時間あれば珍しい方 |
ケースバイケースだが、2~4時間は普通にかかり、毎回「こんなにも丁寧にするのですか」と訊きたくなるほど真摯に処置をしてもらえる。 1時間くらいで済むと「えっ?!こんなに今日は早いのですか?」と感じるほど。 |
スプリント作成 | 一回の型取りで作成。違和感がかえってストレスになったり、割れたりで結局連続使用出来ず。 |
複数の型を部分に分けて取り、揺るぎのない、びったりとしたスプリント作成によって夜に嵌めても熟睡できる。顎の位置を本来の場所に戻す目的のジャイロの支点となる小さなスプリントも作成してもらった。 かつて見たこともないシロモノだったが、健康な時の顎の位置は、このあたりだったろう所へ実際帰ってきた。 |
噛み合わせ治療 | 一本毎の上下噛み合わせはチェックするが、全体の噛み合わせは看てもらったことが無い。 |
詰め物をした時だけではなく、どの歯を治療しても必ず均等な圧力で咬めるように全体の噛み合わせのバランスを看てチェックしてくれる。1本の歯の治療でも、とても薄い赤と青の紙を使って噛み合わせの歪みが出来ないように細心の注意を払ってくれるため、治療後の噛み心地が今まで受けた治療の後と全く違う。 |
インプラント | 不安で依頼する気になれなかった。 | 安心して任せられたし、実際、術後の鏡の中が美しく感動した。3DのCTスキャンや超音波のドリルが土肥先生の技術と相まって全く痛みの無い処置を施してくれたのだろう。 |
患者対応 | 言葉では自分の歯のように大切に扱っていますと言いながらモノや商品として見られているように感じた。 | 患者を人間として扱ってもらっている安心感があり、学術的な内容も「どうせ理解できる知見などないだろうから、詳しい説明はしないでおこう」などと患者をばかにする傲慢さが無く、納得のゆくように説明努力をしてもらえる。 |
治療対する情熱 |
殆どの医院に於いて、この言葉は死語のようだった |
芸術家の如し。 |
型取りの時に感じた事 | 最初と最後の処置はするが、途中からアシスタントの人に任せて他の患者さんの所に行ってしまう。アシスタントの人も「噛んでてください」と一言言っていなくなる。 | 土肥先生は、最初から最後まで席を立つことなく型が固まるまで動かないように押さえておいてくれるので、自分にぴったりの歯を作ってくれる |
仮歯や冠の接着の時に感じた事 | はみ出た接着剤は先生ではなくアシスタントの人が取るので、ざらざらと残っている感じがする。 | 接着剤でさえも土肥先生がきれいに取ってくれて、仮歯の噛み合せも診てくれて、最後までひとりでやり抜いてくれる。 |